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1-1

土浦邸の概要

土浦夫妻にとって2つ目となる自邸は昭和10年(1935)東京・上大崎に竣工。この土地は亀城の友人である実業家・竹内昇の所有地の一角であり、亀城と竹内は友人たちの住居を同土地内に設計することを計画。土浦邸(第二)、竹内邸のほか、画家・長谷川三郎邸、朝日新聞社記者・島田巽邸の4軒のモダニズム住宅が立ち並んだ。欧米の最新宅地造成手法や建築動向を取り入れ、共同で水道を引き浄化槽を設置。衛生・インフラ面でも最先端の生活を実践した。

土浦亀城(1930年代)

土浦亀城(1930年代)

土浦信子(1930年代)

土浦信子(1930年代)

土浦邸(第二)を設計した当時の亀城は「若い中堅知識層のための都市型住宅」、すなわち「安価に大量生産できる住宅の実現」を模索していた。二つの自邸をはじめ、設計を依頼された個人住宅でも「木造乾式構造(トロッケン・バウ)」による工業化に挑んだ。一方で共同設計者の信子は家事労働の負担軽減を主眼とし、台所設計や収納に革新的なアイデアを投入。夫妻のそれぞれの試みが結実したのが土浦邸(第二)である。

土浦邸(第二)外観(1935年頃)

土浦邸(第二)外観(1935年頃)

土浦亀城邸スケッチ 正面外観(スケッチ:土浦亀城建築設計事務所) 東京都江戸東京博物館蔵

土浦亀城邸スケッチ 正面外観
(スケッチ:土浦亀城建築設計事務所)
東京都江戸東京博物館蔵

土浦邸(第二)ギャラリーへ向かう階段(1935年頃)

土浦邸(第二)ギャラリーへ向かう階段(1935年頃)

土浦亀城邸スケッチ 寝室から居間を望む(スケッチ:土浦亀城建築設計事務所) 東京都江戸東京博物館蔵

土浦亀城邸スケッチ 寝室から居間を望む
(スケッチ:土浦亀城建築設計事務所)
東京都江戸東京博物館蔵

欧米建築界で最先端の潮流であった「国際様式」(注1)に則る白い箱状の外観に、南向きの大きな窓が特徴の土浦邸(第二)。地形の高低差を活かし、地下1階から地上2階にわたる各部屋を、地形に沿って半階ずらしてつなぐことで連続性ある空間をつくりだしている。外観はバウハウス、屋内の階段を用いた空間構成には師であるフランク・ロイド・ライトの影響が指摘されている。
玄関からの階段を7段上がると、豊かな採光に恵まれた高い吹き抜けが開放的な居間が広がっている。9段上がると「ギャラリー」と呼ばれた中2階が、そこからさらに5段上がったところに2階の寝室と書斎、トイレがある。
居間、食堂、台所は同じフロアでひと続きになっており、戦前の東京ですでにLDKの設計が実現されていたことがわかる。
また台所には給湯設備や収納が完備されている点や、その奥にある南面した女中部屋に窓を取りつけて日当たりと風通しをよくしている点など、家事従事者の目線に立った設計がされている。
台所から10段下がった地下に浴室とボイラー室。東京ではまだ珍しかった「給湯設備」「暖房」「システムキッチン」「水洗トイレ」などを導入し、現代に通じる明るく便利で合理的な生活を実現させていた。在米中に享受した豊かな生活が「日本でも日常になるように」と考えた二人の強い思いが表れている。

土浦邸(第二)食堂(1935年)

土浦邸(第二)食堂(1935年)

土浦邸(第二)寝室(1935年)

土浦邸(第二)寝室(1935年)

土浦邸(第二)バスルーム(1935年)

土浦邸(第二)バスルーム
(1935年)

土浦邸(第二)居間 壁面に岡田謙三の油彩画を飾る

土浦邸(第二)居間
壁面に岡田謙三の油彩画を飾る

数度の増改築を経ながらも、ほぼ竣工当時の姿をとどめていたことから希少な戦前のモダニズム住宅として高く評価されている。1995年に東京都指定有形文化財、1999年にはDOCOMOMO Japanによる最初の20選に選定された。復原・移築工事を経て、2024年にPOLA青山ビルディング敷地内に保存・公開となる。

釈について ×

注1...国際様式(インターナショナル・スタイル)はバウハウスに端を発し、欧米を中心に1920年代から50年代に広まった建築様式。装飾を排した規則性あるデザイン、機能性の追求、箱型の外観が特徴。20世紀初頭は鉄骨造・鉄筋コンクリート造の普及により規則的な造形が用いられるようになった。土浦邸(第二)は木造でありながらも国際様式に則った設計である。
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