男たちのこだわり
第一章 日本の髪型
古代の美豆良(みずら)を経て、後頭部に結い上げる髷が登場するのは飛鳥時代。隋に倣って導入した冠位制度がきっかけといわれています。平安時代には冠や烏帽子が男子の被り物として定着、着用の際にすれて抜け上がった部分を月代(さかやき)と呼び、やがて武士が兜の着用のために剃った部分を指すようになりました。
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美豆良(古代)
Mizura, Japanese man's hairstyle from ancient times
古代、成人した男性が、髪を左右に分け、耳のあたりで束ねて結ぶ髪型を美豆良(みずら)といいました。埴輪の人物像にもこの形が多くみられ、『魏志倭人伝』や『古事記』にも記載されています。平安時代以降、主として少年の髪型となりました。
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冠下一髻(古代)
Kanmurishita no hitomoto, Japanese man's hairstyle from ancient times
推古天皇11年(603)、隋にならって朝廷に仕える官人はすべて冠を被ることになりました。このことで髪型が変化し、冠の下に収まるように髻を結うようになりました。
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冠下一髻(平安時代-室町時代)
Kanmurishita no hitomoto, Japanese man's hairstyle of the Heian to Muromachi periods (8th - 16th century)
冠の着装にともなって登場した冠下一髻は、平安時代以降、天皇や公家だけでなく、将軍に代表される極めて身分の高い武家から下級官吏、医師や学者まで幅広く結われるようになりました。
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二つ折(室町時代)
Futatsuori (double-folded topknot), Japanese man's hairstyle of the Muromachi period (14th - 16th century)
主に寺院などの稚児や武家の若侍などが結った髪型で、名称は後の時代につけられました。髪を頭上で一束にしてたたみ、髷先を丸くして髪先を中に納める型のほかに、髪先をさばいたものもあります。
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束髪(鎌倉時代)
Sokuhatsu (tied hair), Japanese man's hairstyle of the Kamakura period (12th - 14th century)
髪を頭上で丸く束ねた髷で、後世、束髪と名付けられました。《北野天神縁起》や《法然上人絵伝》《春日権現験記》などの鎌倉時代の絵巻に描かれた雑兵が多く結っている髪型です。
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たぶさ(室町時代)
Tabusa, Japanese man's hairstyle of the Muromachi period (14th - 16th century)
髪の毛を頭上で集め束ねた髪型で、後世に出てくる茶筅髷に似ています。一般庶民の男性はこの時代、烏帽子などのかぶりものはあまりかぶらず、髷も短くしていました。
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大月代(安土・桃山時代)
Ōsakayaki (shaved top and front of the head), Japanese man's hairstyle of the Azuchi-Momoyama period (16th century)
武将は戦場に向かう際、兜を被りましたが、その時、蒸れて頭がのぼせないよう前頭部の髪を剃ったのが月代の始めとされています。その後、常に月代をつくることになり、幅も広くなっていきました。
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中剃(安土・桃山時代)
Nakazori (shaved top of the head), Japanese man's hairstyle of the Azuchi-Momoyama period (16th century)
中剃とは、頭上のみを剃る月代のことで、若い男性が多く行いました。当時、月代を作るのに「げつしき」という木製の毛抜で抜いていたのですが、やがて、剃刀で月代を剃るようになり、武士の月代は一般庶民の男性にも流行していきました。
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天主教信者風(安土・桃山時代-江戸時代初期)
Hairstyle of a Japanese Catholic man from the Azuchi-Momoyama to the early Edo periods (16th - 17th century)
室町時代末期、西欧人が渡来。キリスト教を広めていましたが、織田信長は仏教徒圧迫の手段としてキリスト教徒を保護しました。渡来していた宣教師達の髪型をまねて、頭上を丸く剃ったといあわれています。
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中剃茶筅(江戸時代初期)
Nakazori chasen (shaved top of the head with a tea-whisk-shaped topknot), Japanese man's hairstyle from the early Edo period (17th century)
安土・桃山時代の若い武家の男性が結っていた髪型で、江戸時代に入ってもそれは続いたようです。この頃になると、髷の根が低く垂直になっていきます。その後、一般庶民にまで浸透し、天和、貞享(1681~87)ころまで結われました。
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銀杏頭(江戸時代初期)
Ichōgashira (ginkgo-leaf topknot), Japanese man's hairstyle of the early Edo period (17th century)
室町時代に結われるようになった「二つ折」と同じ型です。毛先が銀杏の葉のように末広に広がっていました。江戸初期には武士や一般庶民にまで幅広く結われ、若者は髷が長く太く、年配になると髷は短く細くなっていきました。
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大月代二つ折(江戸時代初期)
Ōsakayaki futatsuori (shaved top and front of the head with a double-folded topknot), Japanese man's hairstyle of the early Edo period (17th century)
大きな月代を作った上に小さい髷を結んだもの。この髷は江戸時代を通して一般に結われました。代表的なものとして、長興寺蔵の織田信長の肖像もこの髪型です。
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男髷(江戸時代初期)
Otoko mage (lit. male topknot), Japanese man's hairstyle of the early Edo period (17th century)
江戸時代初期の男性の髪型は「二つ折」が全盛で、これを単に男髷といいました。髷の長さは、若い人は長くて大きく、元禄以後は一般に小さくなります。髱を突出すことは寛永の頃から始まりましたが、左右の鬢がうしろに流れて髱を作ったものです。
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糸びん(元和-寛永)
Ito bin (lit. a piece of thread for the side-hair), Japanese man's hairstyle of the Genna to Kan'ei eras (1615-44)
月代を左右の後方まで広く剃り下げ、鬢を額の方まで細く糸状に残して結った髪型。元和、寛永頃から、中間や小者などに結われ、後には奴や侠客、役者などに好まれました。
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奴髷(江戸時代初期)
Yakko mage (lit. manservant's topknot), Japanese man's hairstyle of the early Edo period (17th century)
戦国以来、武家の間で素朴や簡略を尊ぶ気風が好まれましたが、その精神のあらわれがこの奴髷であるといわれています。髷が太く短く、月代が大きく、武家の奴、後には商家の丁稚などが多く結っています。
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若衆髷(江戸時代初期)
Wakashu mage (lit. topknot of young male kabuki actor), Japanese man's hairstyle of the early Edo period (17th century)
江戸時代初期に流行した若衆歌舞伎で、若衆達が結った髪型。髷が太く大きく、前髪と髱が突出し、中剃りをしているのが特徴です。その前髪は男色の証とも思われて、風俗上厳しい取り締まりを受け、承応元年には前髪禁止令が出されました。
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撥鬢(天和-宝永)
Bachi bin (lit. Shamisen's plectrum-shaped side-hair), Japanese man's hairstyle of the Tenna to Hōei eras (1681-1711)
鬢の形が三味線の撥(ばち)の形になっているもので、一説には宝永時代、浄瑠璃太夫の江戸半太夫が始めたものともいわれています。しかし天和頃にはすでに商人などがこの鬢にしていたと思われます。
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せみ折(天和-元禄)
Semiori (cicada-shaped topknot), Japanese man's hairstyle of the Tenna to Genroku eras (1681-1704)
天和頃から元禄にかけて流行した髪型。髷の先を上にそらし、蝉の形のようにしたもの。特に侠客や相撲取り、また遊び人などが多く結った髪型です。
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芥子坊(江戸時代)
Keshibō, Japanese boy's hairstyle of the Edo period (17th - 19th century)
子供の髪型。3歳の11月15日、髪置きの儀式を行い、これ以後、剃るのをやめて髪を伸ばしました。この芥子坊は頭の頂上だけ髪を残すものや、額と耳前に髪を残すものがありました。
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野郎のんこ髷(江戸時代、承応以降)
Yarō nonko mage, Japanese hairstyle of male kabuki actor playing a libertine's role in the Edo period (17th - 19th century) from the Shōō era (1652-55) onward
承応元年(1652)に若衆歌舞伎が禁じられ、野郎歌舞伎となりました。若衆が前髪を落とした髪型を野郎髷といいました。
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辰松風(江戸時代、享保以降)
Tatsumatsu-fū (lit. Tatsumatsu style), Japanese man's hairstyle of the Edo period (17th - 19th century) from the Kyōhō era (1716-36) onward
享保末、浄瑠璃の人形遣い辰松八郎兵衛によって創始された髪型。人形を遣う時、仰向くと髷がそり返って襟の中に入るのを嫌い、髷の根を高くし、元結を多く巻き、針で留めるという工夫を凝らしました。毛先は短く、先端は細くし、頭を刺すような形です。
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文金風(江戸時代、元文以降)
Bunkin-fū (lit. Bunkin style), Japanese man's hairstyle of the Edo period (17th - 19th century) from the Genbun era (1736-41) onward
享保年間大流行した浄瑠璃語り宮古路豊後掾が結い始めた髪型。文金風のいわれは、「文字金」と言われた元文小判が発行された元文元年に流行したため。根が高く急斜し、辰松風と比べると元結の巻き方も少なめ。刷毛先に竹串を入れて油で固め、鬢の髪をかき上げて割れ目をつくらないようにしています。
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本多八體より疫病本多(江戸時代、明和以降)
Yakubyō Honda (lit. Plague Honda) from eight types of Honda, Japanese man's hairstyle of the Edo period (17th - 19th century) from the Meiwa era (1764-72) onward
本多忠勝の髪型から広まったといわれている本多髷。この「疫病本多」は、明和頃流行した本多八体とよばれる八種の型のひとつで、わざと髪量を減らして細い髷にし、病後で髪の毛が抜けてしまったようにみせたものです。
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たばね(江戸時代後期)
Tabane (lit. bundle), Japanese man's hairstyle of the late Edo period (19th century)
油をあまりつけず水だけで結び、髱をふっくらとさせて、刷毛先をぱらりと散らし上へ向ける髪型。1日~2日前に結ったかのようにみえる無造作な髪型が粋な結い方とされました。勇み肌の侠客などに好まれた髪型です。
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第一章
日本の髪型
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第二章
髪結
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第三章
ヨーロッパの髪型