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2020.06.11
兵庫髷に続いて登場するは、日本髪の代表格、島田髷(しまだまげ)。これは一説には、当時人気絶頂の若衆歌舞伎の美少年が結っていた若衆髷(わかしゅまげ)を、東海道島田宿の遊女が取り入れて始まったといわれています。その後は町娘などにも大流行し、未婚女性の髪型の定番に。とてもバリエーションの多い髪型なので、見分けるポイントをひとつご紹介しましょう。
《時代かがみ 安政の頃》 楊洲周延 明治29~30年(1896~1897)(国文学研究資料館撮影)
図に注目してみると、髷(まげ)を折り曲げてその途中を元結(もとゆい)で締めていることがわかります。こうして"髷の途中を締めて"いれば、どれも「島田髷」の仲間、ファミリーとみて正解です。そしてこの島田髷、もしかしたらみなさんも見たことがある髪型かもしれません。それは、和装の花嫁姿。白無垢の花嫁さんの角隠しや綿帽子の中の髪型は文金高島田(ぶんきんたかしまだ)です。そう、島田髷は江戸時代から始まって今でも結われている、代表的な日本髪なのです。今度、和装の花嫁さんにお目にかかる機会があれば、ぜひ思い出してみてください。
元禄島田髷 元禄(1688~1704)(左)
島田髷は髷の途中を締める。
若衆髷 江戸時代初期(右)
島田髷の基になったスタイル。
※このコンテンツは2015 年から2018 年にポーラ文化研究所Web サイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を2019 年から2023 年まで一部改訂再掲載したものです。