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2022.09.08
明治18年(1885)、日本髪より軽く、簡単に結うことができる髪型として登場した束髪は、和装にも洋装にも似合うことから人気となり、都市部からやがて全国に普及していきました。
明治35年(1902)頃になると、束髪に新しい流行が見られるように。新聞に「昨今束髪の新流行は、前髪を四阿屋(あずまや)の庇(ひさし)然と前へのめるほどに突き出したる形なり」と取り上げられるほど、前髪が大きく張り出してきます。入れ髪をしてふくらませた前髪が特徴的なこのヘアスタイルは、「廂髪(ひさしがみ)」と呼ばれるようになりました。
絵はがき(部分)明治時代末(1911頃)
女学生からはじまった廂髪の流行が一般女性へと広がりピークを迎える頃、巷で大きな話題となっていたのが日露戦争(明治37年勃発)の主戦場のひとつ、旅順の二百三高地でした。なかなか陥落しなかった二百三高地と、髷を高く巻き上げた髪型のフォルムを重ね、廂髪を「二百三高地髷」と呼ぶようになります。 明治40年代になると、華やかな飾り櫛や針金製の前髪入れなど、様々な束髪用品が出回ります。当初は日本髪に比べ衛生的で経済的、簡便さを旨としていた束髪でしたが、美しい髪型を求める女性たちは、髪を盛ったり髪飾りを挿したり。しだいに華美な髪型へと変わっていったのでした。
「束髪用前髪入(関口洋品店広告)」(部分)『婦人世界』明治40年(1907)6月
※このコンテンツは2015 年から2018 年にポーラ文化研究所Web サイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を2019 年から2023 年まで一部改訂再掲載したものです。