019
2022.02.24
髪を後ろに長く垂らしていた平安時代。家事や労働がしやすいように、髪を束ね始めた安土桃山時代。そして髪を結い上げて髷をつくり、髪型のバリエーションが一気に広がった江戸時代。ここまで、垂髪から始まり、結髪文化が花開くまでの髪型の変遷を見てきました。
同じ時代、西洋でもドレスに合わせたゴージャスでボリュームのある髪型文化がありましたが、技巧的なものはかつらがほとんど。対して日本の女性たちは、長く伸ばした「地毛」であの芸術的ともいえる髷を結っていたのですから、豊かな黒髪への思いは大変なものです。
『ギャルリー・デ・モード』(部分) 1778年
立体的に結うため、髪を油で固めて強く引っぱり、髷の根元をギュッと結びます。そのため根元部分の髪がはげてしまう女性もいたとか。髪への負担は相当なものです。また油のついた長い髪は、洗うのも乾かすのも大変手間がかかります。洗髪ができたのは月に1~2回だけ。次に結うときまで髪型キープが鉄則でした。寝ても覚めても、髪型が乱れないように気をつける生活は、想像しただけで苦労が浮かびます。艶やかな黒髪で結い上げられた美しい日本髪は、江戸女性の努力と忍耐の賜物、女の執念さえ感じられます。
さて、次回から時代は明治に変わります。西洋文化の流入で、日本髪はどのように変化していったのでしょうか。どうぞ、お楽しみに。
《時代かがみ 天明の頃》(部分) 楊洲周延 明治29年(1896)(国文学研究資料館撮影)
※このコンテンツは2015 年から2018 年にポーラ文化研究所Web サイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を2019 年から2023 年まで一部改訂再掲載したものです。