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2021.05.27
「そろそろ髪型を変えようかな・・・」という時、美容院に行って、美容師さんにお願いしますよね。実は江戸時代にも結髪専門の美容師「女髪結い」がいました。
女髪結いは、江戸中期の安永(1772~1781)頃に登場したといわれています。自分で髪を結うことは女性のたしなみとされていましたが、どんどん華やかになっていく日本髪は、やがて自分の手には負えないほど技巧的なスタイルに。特に、安永期に流行したのが「燈籠(とうろうびん)」という髪型。顔の両サイドの髪を、燈籠の笠のように左右に張り出させ、向こう側が透けて見えるほど薄く形作るのは至難の業。繊細で美しい髪型は、結髪のプロ「女髪結い」の手によって作り上げられていました。
《春雨豊夕栄》(部分) 歌川豊国 安政2年(1855)(国文学研究資料館撮影)
浮世絵に描かれた女髪結いは、既婚・子持ちであることを示す、お歯黒に剃り眉姿。身につけている着物は、落ち着いた色合いの格子や縞など質素なもので、袂(たもと)が邪魔にならないよう襷(たすき)がけをしています。仕事道具の櫛を髪に挿し、髪を結ぶ元結(もとゆい)を帯にキュッと挟んだ立ち姿は、いかにも職人らしいですね。
女髪結いは店を持たず、顧客の所へ出向いてオーダー通りのヘアスタイルに結い上げる商売。料金は1回あたり200文でした*。男性の髪結い床での髪の結い賃が髪結床が32文だった時代に、女髪結いは贅沢なおしゃれ。華美な風潮を嫌った幕府は、度々禁止令を出しています。しかし禁令下においても、女髪結いは増え続けるばかり。流行の髪型にしたくて女髪結いを頼む女性と、自分の腕一本で稼ぎたい女髪結い。髪にかける江戸女性の情熱には、幕府も敵わなかったのです。
*江戸時代中期、1両=4,000文。
《葉うた虎之巻》(部分) 豊原国周 文久2年(1862)(国文学研究資料館撮影)
※このコンテンツは2015 年から2018 年にポーラ文化研究所Web サイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を2019 年から2023 年まで一部改訂再掲載したものです。