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2020.09.24
これまでお話してきた兵庫髷、島田髷、勝山髷に続く江戸の四大髷のラストは笄髷(こうがいまげ)。でも、そもそも笄(こうがい)ってどんなものだかご存じでしょうか?
笄とは、髪掻(かみかき)から転じたもので、本来は毛筋を立てたり頭を掻いたりするときに使っていた小道具でした。室町時代、宮中に仕える女性が、長い下げ髪が作業の邪魔にならないよう、笄にくるくるっと巻きつけてアップスタイルに。これが笄髷の始まりといわれています。
《時代かがみ 嘉永の頃》 楊洲周延 明治29~30年(1896~1897)(国文学研究資料館撮影)
宮中の女性が非公式な場で結った仮の髪型、笄髷。はじめは単に笄に髪を巻きつけただけで、決まった型はありませんでしたが、江戸時代中期に、ここから派生して出来た髪型が流行します。ひとつ目は先笄(さっこう)。島田髷と笄髷の要素がブレンドされた裕福な町人のおかみさん好みの髪型で、既婚女性がよく結った髪型です。また、勝山髷と笄髷を合わせた両輪(りょうわ)は、年配女性によく結われました。
もうひとつ、笄を使った髪型に片はづしがあります。江戸時代にも宮中や江戸城大奥の正式な場では、女性の髪型は垂髪がおきまりでした。片はづしは髷の一方だけを笄に巻いたスタイルで、サッと笄を外してしまえば、垂髪に元通り! そんな画期的な髪型でした。
片はづし 江戸時代後期
笄を外せば垂髪に。宮中の女性や御殿女中に結われた。
※このコンテンツは2015 年から2018 年にポーラ文化研究所Web サイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を2019 年から2023 年まで一部改訂再掲載したものです。