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2019.09.12
「黒髪は女の命」といわれ、"長く艶やかな黒髪"は、古くから日本美人の絶対条件でした。
長い黒髪を芸術の域にまで高めた日本髪の原型ができたのは、安土桃山時代後期、それ以前には、後ろに長く垂らした 「垂髪(すいはつ)」 や「下げ髪」が女性の主な髪型でした。
鎌倉・室町と時代が進むと髪を束ねたり結ぶようになり、16世紀末(天正頃)から結われはじめた「唐輪髷(からわまげ)」が、日本髪の原型といわれています。
《豊太閤観桜之図》(部分) 楊洲周延 明治30年(1897)
江戸時代前期、公家や上級武家の女性たちは依然として垂髪でしたが、女歌舞伎や遊女などが、「兵庫髷(ひょうごまげ)」や「島田髷」、「勝山髷」などと名付けられた髪型を結いはじめ、一般市民に広がっていきます。これらに笄髷(こうがいまげ)が加わり、日本髪を代表する4つの基本の髪型がこの時期につくられました。
江戸時代は、女性の髪型史上、最も華やかで、その種類は数百種にも及んだといわれています。年齢や職業、地域や身分、未婚・既婚などで結う髪型がちがっていて、一目見れば、どこのどんな女性なのか分かったというのも興味深い特色です。
この連載では、日本髪の歴史にスポットをあてて、長い黒髪が作り上げる女性美の象徴、美しい髪型の見方やそれにまつわる事柄を、時代の変遷とともに見ていきます。
《江戸名所百人美女 霞ヶ関》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)
※このコンテンツは2015 年から2018 年にポーラ文化研究所Web サイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を2019 年から2023 年まで一部改訂再掲載したものです。