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2019.05.16
太くなったり細くなったり、アーチ型になったりまっすぐになったり・・・・・・。現代において、もっとも形の流行が変わるメークといえば眉メークではないでしょうか。一方で、眉化粧は『日本書紀』や『古事記』でも言及されているほど、歴史があるメークでもあります。時代とともに変化していく眉メーク。それでは、江戸時代の女性たちはどのような眉をしていたのでしょうか。
一般庶民の若い女性は、顔の形にあわせて眉の形を整えていました。江戸時代後期に書かれた美容本『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』では、丸顔は細い三日月眉、面長は少し太い眉がよいという記載があります。そして結婚をするとお歯黒をし(半元服)、子どもを産むと眉を剃り落とすことが(本元服)成人のしるしとなりました。また、遊女も眉化粧をしており、筆を用いて眉を描く様子が浮世絵にも残されています。
一方、上流階級の公家では男女とも、武家は女性だけが眉化粧を行いました。眉を剃って額の上部に別の眉を描くというものです。やがて明治時代になると、海外から日本の眉化粧が奇異な風習として見られるようになります。お歯黒と同様に眉を剃り落とす風習が上流階級の間で廃止されると、徐々に一般庶民の間でも廃れていきました。
《名筆浮世絵鑑》 五渡亭国貞 文政頃(1818~1831頃)
鏡台に肘をついて眉を描いている遊女。肘の辺りに、眉を描くのに使う眉墨がある。