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2019.02.14
多くの人が白い肌にあこがれる現代。
江戸時代の女性たちも、白いきれいな肌を演出するベースメークに余念がありませんでした。
江戸時代後期(文化10年、1813年)に出版された総合美容読本『都風俗化粧伝』(みやこふうぞくけわいでん)には、このように美人の条件が示されています。
「生まれながらの美人はいたって少ない。化粧の出来や顔のつくりによって美人といえるが、その中でも色の白さが第一条件である。色の白さは顔の七難をも隠す。」
当時は白い肌こそ美人の第一条件であったことがわかります。
そんな江戸時代の女性たちが、自身の肌を白く見せるためにベースメークに使用していたのが白粉(おしろい)です。
白粉には水銀白粉と鉛白粉の二種類があり、水銀白粉は御所白粉とも呼ばれ、主に上流階級の女性が使用していました。一般の女性が使用したのは鉛白粉です。
粉末の状態で販売されていた白粉は、水に溶くなどして使用されていました。それを刷毛や手にとり、顔だけではなく、襟足や首、胸まで広範囲につけていきます。当時の女性たちは合わせ鏡でその出来栄えをチェックしていたようです。
地域や時代により、好まれる濃さの流行も変化したという白粉化粧。美しくなりたい女性たちのこだわりが感じられます。
《山海目出多以図会 くせが直したい 相州鰹魚釣》 一勇斎国芳 嘉永5年(1852)
合わせ鏡で白粉の付き具合を見ている様子。胸元や襟足まで確認している。