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化粧文化 COSMETIC CULTURE
お化粧ヒストリー

鏡と向き合う「美しくなる時間」

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鏡と向き合う「美しくなる時間」

2024.11.14

今朝のスキンケアやメークアップ...どこでどんなスタイルで行いましたか。
洗面台の前に立って、ベッドルームのドレッサーで、リビングの椅子で手鏡を持って、それともスマホのミラー機能で?
化粧というとてもパーソナルな行動をする時間を、どの場所で、何を使って行うのか。
ポーラ文化研究所で調査を実施したこともありましたが、まさに「いろいろ」です。
そして、時代の変遷とともに、場所や道具、スタイルも時間は、どんどん変化していくのかと思います。でも、肌の調子を観察したり、化粧料ののび具合や色味ののり方を確認したり、と常に鏡は必需品です。

歴史の中で、一番古い鏡はなんでしょうか。
神話の世界にも登場する「水鏡」、つまり水面に映った自分の姿を見る...というのが鏡の起源のようです。ポーラ文化研究所でも古代エジプトの手鏡を所蔵していますが、こうした化粧の黎明期である紀元前にも姿を映すための鏡が存在し、日本でも、古事記の中に「八咫鏡(やたのかがみ)」が登場します。鏡は神事に関わる重要な祭器であり、人々の営みの中に根づいている道具でもありました。
今回ご紹介するのは、鏡台、しかも庶民用鏡台として保存、研究を進めてきた化粧道具です。

黒漆塗庶民用鏡台、鏡箱 江戸時代後期黒漆塗庶民用鏡台、鏡箱 江戸時代後期

鏡台の普及は鏡の発達と深く関わっており、江戸時代中頃、技術の進歩により大量生産ができるようになると、庶民にも広がっていきました。江戸時代後期になると次第に形状が大きくなるのですが、その理由のひとつに、元禄以降の女性たちの髪型が大きく、複雑なものになったことが挙げられます。髪全体をよく見るために、鏡はより大きく、そしてそれを支える鏡台も頑丈で重いものになっていきます。同時に、髪結いや化粧に必要なグッズ、小物などを整然と収められる合理的な「道具」として発達していきました。

この鏡台は、蝶番の部分が「蝶」の形をしているのがポイント。それ以外は華やかな装飾などもなく、黒の漆を塗っただけの実用的なデザインです。上部の鏡掛けや鏡箱は取り外して引き出しの中に収納できるようになっています。

当時の化粧シーンを描いた多くの浮世絵を見ると、鏡台に向かって、どんな動作で化粧をしているのか、またどこにどんなものをしまっていたのか...そんな「事実」がありありと見えてきます。引き出しの中には...結髪に使う元結や櫛、笄が、そして小間物屋から購入してきたのでしょうか、白粉包みも収められています。役者や美人の姿が描かれた意匠は本当に美しく、好みの絵柄は思わず「パケ買い」したのでは...そんな想像もしてしまいますね。

さらに細部をよく見てみましょう。引き出しが手前正面ではなく...右側についています。これも「美への追求」を示す形でしょうか。引き出しを右側にすることで、鏡にグッと顔を近づけることができるわけです。よく見たい、という思いがデザインに昇華されている職人のイノベーションかもしれません。
また、1つを鏡台にかけ、もう1つを手鏡に持ち、2枚を「合わせ鏡」として使っているシーンが描かれている、という浮世絵も多くあります。髷の後ろ側がきれいに整っているか、襟足の白粉がムラなくついているか、2枚の鏡を使って入念にチェックしている様子がよく伝わってきます。真剣に鏡に向かう...のは現代の私たちと同じですね。

当時の鏡は錫と水銀の合金を表面に塗った金属鏡で、現代の鏡と同程度にはっきりと映ったので、こうした細かいチェックもできたわけです。歌舞伎の舞台にも鏡は登場します。「新版歌祭文」の野崎村で、お光がいそいそと鏡を見ては許嫁を思う娘の無垢なかわいらしさを演じる、また「四谷怪談」では、お岩が変わってしまった自分の顔を映して絶望する...など、芝居の小道具としても、鏡は重要な役割を演じています。
姫君や大家の夫人を映した華麗な鏡台同様に、庶民の営みの中でも、高い実用性、機能性を発揮し、そして「美しくなる時間」をつくり出していた大事な化粧道具のひとつであったと思います。

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