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化粧文化 COSMETIC CULTURE
お化粧ヒストリー

大正時代、社会の変化と新しい化粧品

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大正時代、社会の変化と新しい化粧品

2022.06.23

「大正時代」というと、竹久夢二が描いたおしゃれでたおやかな女性たちの姿や洋風の建築物など、和洋折衷の文化「大正ロマン」のイメージを思い浮かべる方も多いかもしれません。現在でも人気と注目を集めるこの時代は、女性たちを取り巻く社会環境が大きく変化し、それにともない化粧品のかたちも伝統的なものから変わった時代でもありました。

明治時代に新しい職業として登場した「看護婦」は大正時代初期に資格が公認され、国家試験としての検定試験が開始。国家試験制度が取り入れられたことで、看護婦という仕事は女性の社会的地位の確立のはじまりとなりました。
やがて生活インフラの整備によって女性の働く場が広がっていきます。バスの女車掌やデパートの女性店員などの仕事も登場し、このような接客業をする「職業婦人」たちの必需品となったのが、現代に生きる私たちにとってもおなじみのコンパクトと棒紅(リップスティック)です。

休憩時間にさっと化粧直しをしたい女車掌やデパートの女性店員たち。蓋の裏が鏡になっており、中に粉白粉とパフが入ったコンパクトはとても便利なアイテムでした。化粧下地としてクリームを塗り、そのうえに粉白粉をはたけば完成するベースメークは「スピード化粧」「早化粧」と呼ばれ、次第に職業婦人以外の女性たちにも支持されるようになります。
またすでに欧米からの輸入が始まっていた棒紅(リップスティック)ですが、国産品は大正7年(1918)に登場。どこでも気軽に携帯ができるコンパクトと棒紅は、女性たちにとっての新しい時代の到来とともに登場した化粧品だったのです。

粉白粉コンパクト ポンピアン 大正9年(1920)~昭和5年(1930)頃 粉白粉コンパクト ポンピアン 大正9年(1920)~昭和5年(1930)頃

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