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明治時代の髪型1<br>明治中期、新しい髪型「束髪」の登場

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明治時代の髪型1
明治中期、新しい髪型「束髪」の登場

2021.08.12

明治16年以降、鹿鳴館で華々しく開催された舞踏会。当時ヨーロッパで流行していたバッスル・ドレスを身にまとった華族や高官夫人、令嬢たちはドレスにどのような髪型を合わせていたのでしょうか。
日本髪を結い上げるのが当たり前だった時代、和装とは全く異なったシルエットのドレスに合う西洋風の髪型に移行するのは簡単なことではありません。そのため当初は、日本髪でも洋風の髪型でもない髪型が結われていました。

やがて明治18年になると、新しい髪型「束髪(そくはつ)」が提案されます。この髪型は日本髪とは異なり髪の毛をパーツごとに分けず比較的簡単に結えるということ、軽快であること、さらに洋装にも和装にも似合うということから東京を中心に人気を集めました。現在でも親しまれている「夜会巻」の元となる髪型も、この時代に登場したものです。

束髪が登場した背景には、日本髪が抱える問題がありました。日本髪は髪油をたっぷりと使うことから「不便、不潔、不経済である」と、医師の渡邉鼎と経済記者の石川暎作らが明治18年に「婦人束髪の会を起す趣旨」を提唱、日本髪を廃して束髪を推進する「婦人束髪会」を結成したのです。

またその趣旨を徹底するべく、浮世絵《大日本婦人束髪図解》が発表されました。そこに描かれている髪型の例を見てみると...さまざまなヘアスタイルが提案されています!伝統的な日本髪とはまったく異なる髪型は大きな注目を浴び、市井の人々にも広まっていきました。

一方で日本髪はというと、着物の生活が続く一般の人々の間では変わらずに結われていました。日本髪を結う習慣は根強く、束髪やほかの髪型と共存しながら昭和10年代頃まで続くこととなります。

次回も引き続き明治時代の髪型についてご紹介します!

《大日本婦人束髪図解》 松斎吟光 明治18年(1885) (国文学研究資料館撮影) 《大日本婦人束髪図解》 松斎吟光 明治18年(1885) (国文学研究資料館撮影)

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