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2021.06.24
文明開化を迎えたこの時代、人々のよそおいはどのように変わっていったのでしょうか。
和装が一般的だった明治時代初期に、いち早く洋装を取り入れたのは上流階級の男性たち。海外の要人と会う機会が増え、また西欧に並ぶ国家の近代化を目指すために洋装の推進が図られました。洋装は皇族の対外的な服装や官僚の制服、軍服から始まり、やがて一部職業の制服に広まります。明治4年には郵便、翌年に鉄道業界の制服に採用されたのです。
一方で女性の洋装化はなかなか国内では進みませんでした。先駆者となったのは、津田梅子ら明治4年にアメリカ留学した女性たち。留学先で着物姿が好奇の目で見られることを嫌い、洋装を希望したといいます。
明治16年になると、国賓や外国の外交官接待の場として鹿鳴館が開館。大山捨松らアメリカ留学帰りの女性たちや、外交官夫人を中心に一部の女性たちがドレスに身を包み、舞踏会に参加したことで洋装が注目されるようになりました。そのドレスは当時ヨーロッパで流行していたバッスル・スタイル。はじめはヨーロッパから輸入したものを着付けていました 。
ところで多くの人々の服装はというと、変わらず和装でした。一般人にまで洋装が広まるのは大正時代になってからのことです。
少しずつよそおいの変化が進んだ明治初期の日本ですが、髪型はどのように変化したのでしょうか?次回は女性たちの髪型に注目します!
《上野不忍競馬之図》 楊洲周延 明治17年 (1884) (国文学研究資料館撮影)