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建物と設計者、土浦亀城・信子夫妻の魅力をご紹介
色の白きは七難かくすと言われた白肌と同様に、美人の条件として大切にされていたのが丈なす黒髪。その美意識は江戸時代になっても変わらず引き継がれ、髪を結い上げる、いわゆる日本髪という独自のヘアスタイルとなって花開きました。
2022.06.09
江戸時代、「メーク」はさまざまな身分の女性に浸透し、庶民も楽しむようになっていきました。おそらく美しくなるために日夜メークアップの腕を磨いていたはず!では、どのようなものを参考にしていたのでしょうか?
2022.03.24
元来、日本の化粧は口紅・頬紅・爪紅の赤、白粉の白、髪・眉・お歯黒の黒の数少ない色の使い分けが、日本の伝統化粧に独特の趣を作り出していました。今回は、そんな当時の化粧方法や道具の使い方をご紹介します。
2022.01.27
日本女性は、奈良時代より白粉で顔を白く化粧してきました。上流階級から始まった白粉化粧と白肌への憧れは変わることなく、長い歴史を経て江戸時代には庶民まで浸透していきます。
2021.11.25
お歯黒・眉化粧とともに江戸時代のメークの中心だったのが「紅化粧」。頬紅、口紅のほか、目のあたりにつけたりして華やかさを表現する赤のメークとして発展していきます。江戸時代に流行した紅を使ったメーク方法を紹介します。
2021.08.31
町民文化が発達した江戸時代。化粧は武家の女性だけなく、庶民の女性も日常的に行うようになります。平安の世から続く日本独自の化粧法、黒(お歯黒・眉化粧)、白(白粉)と赤(紅)、3色のメークは完成期を迎えますが、なかでも最も特徴的な化粧法が「黒のメーク」"お歯黒""眉化粧"です。
肌のお手入れ「スキンケア」。うるおいケアの基本、化粧水が一般女性に広まったのは江戸時代でした。白粉をきれいにつけるための化粧下地料として化粧水が使われるようになり、江戸中期に入って、庶民の間で白粉化粧のトレンドが薄化粧になると、女性たちの意識は素肌美に向けられるようになり、化粧水は"肌を整えるため"の化粧品となっていきます。
2021.06.29
現代でいえば石鹸や洗顔フォームなどの<洗浄料>や、化粧水など<保湿・整肌料>のスキンケア化粧品が、すでに江戸時代にあったのをご存知ですか?江戸美人の条件は何と言っても「白肌」。「白粉化粧」が一般女性にまで広まり、スキンケアでまず普及したのは洗顔料で、入浴や化粧前の洗顔に「糠袋」や「洗い粉」が使われるようになります。
江戸時代の中期以降になると、町民階級の間でも、節句や花見などの年中行事が一般化し、歌舞伎などの娯楽、浮世草子などの民衆文芸、浮世絵など風俗・美人画が華やかに発展し開花させていきます。明るく活気にみちた町人文化のもとで化粧は自由に楽しむものとなり女性像や美意識をつくりあげていきます。
2021.04.27
江戸前期は武家を中心に、格式を表す化粧や髪型、装いの様式が整えられ、上級武家の婚礼化粧道具に、その趣を感じる事ができます。一方、豊かになった庶民の女性たちも、慣習に縛られず自分たちなりに工夫した化粧や髪型を楽しむようになっていきます。町人文化の隆盛によって伝統的文化が、さまざまに洗練されて日本の様式美が完成していくのです。