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2020.09.28
平安時代にはいると遣唐使が廃止されるなど、次第に大陸文化の影響は薄れていき、代わって貴族中心に日本独自の文化が芽生えていきます。華やかな唐風から優美な国風へと文化の趣は様変わりをしたのです。
その象徴が日本固有のかな文字の発展です。日本人ならではの感情・感覚を豊かに表現した和歌や物語のかな文学が生まれています。かなで書かれた物語の代表と言えば紫式部の『源氏物語』がありますが、そこには、女性の手によって優美で上品な日本美人が描かれています。
平安貴族の女性たちは、寝殿造という、部屋の中は昼でも薄暗い大きな屋敷に生活していました。そうした環境に映える、色鮮やかな絹の衣装を何枚も重ねた十二単(じゅうにひとえ)に身をつつみ、服のボリュームに合わせるように、「垂髪(すいはつ)」という黒髪を長くまっすぐに伸ばしたヘアスタイルが代表的なファッションです。
《源氏後集余情 発端 石山寺源氏の間》(部分) 一陽斎豊国(三代豊国)
平安中期の女流作家、歌人、女官。『源氏物語』の作者として名高い。
平安美女の第一条件と言えば、丈なす黒髪。長い豊かな黒髪を扇のようにひろげた様子が美しいと讃えられていました。その長さと言うと、『源氏物語』に登場する末摘花(すえつむはな)の髪の長さは、衣よりさらに一尺、つまり背丈より30cm長いとあります。
顔や肌の白さを引き立てるために漆黒の髪は欠かせないものであったのでしょう。しかし、美人の条件である黒髪は、長いだけでなく艶やかな黒髪でなければなりませんでした。
では、平安貴族の女性たちは、どのように長い髪の手入れをしていたのでしょうか。もちろん、シャンプーなどはありません。「ゆする」(米のとぎ汁)や「灰汁(あく)」(灰を溶かした水の上澄み)を洗髪料として洗っていました。
大変手間のかかる洗髪はたまにしか出来なかったので、通常の手入れは、「ゆする」をつけて櫛で髪をすいていました。それも三日に一度という平安時代の記述もあります。宮廷のお姫様は、超ロングヘアを美しくキープするために大変な努力をしていたのですね。
平安時代、特権階級である貴族の宮廷での暮らしの環境や美意識が、新たなよそおいの様式を作り出しました。それは、中国大陸様式の模倣からはじまったよそおい文化から日本人の美意識による日本独自の装いと化粧の文化への出発点となったのです。
次回は平安時代の化粧についてお伝えします。
※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。