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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

031

近代化粧の幕開け
明治時代4 美意識の変革<美容法:エステの先駆け「美顔術」の登場>

2023.10.12

明治時代の一般的な女性たちは、白粉、紅の伝統的な化粧法を続けていました。一方、洋行帰りの女性や美容家が美容本や雑誌などに西洋の色つき白粉などの最新化粧を紹介すると、欧米の化粧・美容情報が世間に次々と広まりはじめます。化粧の分野にも近代化のトレンドがやってきたのです。
このような中で注目の美容法が登場しました。「美顔術」です。なんと明治時代にはじまっていたのですね。

一般女性向けにエステティックサロンがはじめて登場したのは、明治38年(1905)。遠藤波津子が京橋区竹川町(現在の銀座7丁目)に「理容館」を開業したのがはじまりといわれています。
それまで美肌とは、白粉で作る肌のことが中心でしたが、真の美しさとは美しい素肌を手に入れることという考えから、遠藤波津子はアメリカ人のドクター・キャンブルーに「西洋式の新・美容法」を学び提唱したのです。
当時エステは、英語の「ハイジェニック・フェイシャル・カルチャー」(Hygienic facial culture)が「美顔術」と訳され、新聞、雑誌に取り上げられる程の話題となっています。明治40年4月発行の雑誌『婦人世界 臨時増刊号 化粧かがみ』にも、「美顔術と申しますのは、米国式化粧の準備として顔を掃除しまするので、米国では到るところの床屋で行って居るさうですが、日本では昨年七月から此術の開業者が初めて現はれたのであります。それは京橋竹川町十二番地の理容館といふので、館主兼施術長は遠藤波津子という婦人であります。」とあり、この記事からも注目度の高さがうかがえます。

『欧米最新美容法』玉木広治編 東京美容院 明治41年(1908)『欧米最新美容法』玉木広治編 東京美容院 明治41年(1908)

開業した理容館では、どのような施術をお客様に提供していたのでしょうか。以下に概要を紹介します。
◆美顔術の主な目的は顔面の汚れを除去し、血行を促して脂肪の分泌を適度にして、神経を爽快にするもので、主にクリームを使って肌の汚れをとるというものでした。その施術方法は、以下の手順であったといいます。
①まず熱く蒸したタオルで顔を蒸し、皮膚をやわらげたのち、クリームを顔一面に塗り、指先でよくよく皮膚内に擦り込む。
②次にカッピング・カップ、コンプレクション、バルブなどと称する器具で、先に擦り込んだクリームをまんべんなく吸い出す。
③そうすれば、氣孔(けあな)にたまった垢や脂肪がクリームとともに吸い出される。

◆また、理容館では、1回の施術時間が約40分、料金は50銭でした。 当時の白粉の値段が一個12銭~25銭でしたから、丁度、高級白粉を2個購入できる金額が1回分の美顔術代金でした。当時から高級なお手入れだったのです。そのようなこともあってか、お客さまの多くは財閥や政治家など、上流階級の令嬢や夫人たちであったそうです。

現在、エステ技術は格段と進歩しましたが、当時の美顔術のサービス内容を見てみると、さすがエステ元祖と称される内容だと感心させられます。
さらに、「顔色を良くし、きめをこまやかにし、しわ・しみをなくし感触の良い肌にする」などの魅力的な効能訴求から、当時の女性雑誌記者が体験取材に訪れるほど、女性たちの関心が高かったようです。
明治44年6月発行の雑誌『婦人世界』に肌の調子が悪い婦人記者の美顔術体験談が掲載されています。「割合に狭い部屋だなと思う間もなく椅子に掛けさせられて、すぐにグーと仰向けられてしまふ。私の頭の上にゐる女の人は、看護婦のやうな助手に眼で合図しては、タオルを持って来さしたり、クリームの蓋を開けさせたりして、長い間、私の顔をいじってゐましたが、私の右の頬に出来てゐた腫物を、何かスポイトのようなもので吸ひ取らしてしまひました。今度は冷たいタオルを顔に当てて<ここまでがお顔のお掃除でございます。>」記者は施術後、肌に残る灰色になったクリームに驚き、また鏡に映った自分の顔が気のせいか綺麗に見えたと語っています。

当時は、文明開化がもてはやされたとはいえ、ハイカラなことを取り入れていくにはとても勇気を必要とした時代でした。そのような時に、時代を先取りしてエステ美容の先駆けとなる「美顔術」をはじめた女性経営者がいたのです。明治の女性というと、習慣となった化粧法や髪型などを重んじる保守的なイメージがありますが、時代の変化を感じ取り、美肌のための最先端ケアに果敢にトライする姿からは、「今の私たち以上に革新的!」と感じませんか?
このように欧米からはいってきた自然美を目指す近代美容は、白粉による白塗りから素肌美・健康美指向へ移行させ、日本女性の肌意識やメーク意識を一変させていくことになります。

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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