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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

020

伝統化粧の完成期
江戸時代7 メーク&トレンド<赤〔紅化粧〕>

2021.08.31

口紅を筆頭にチークカラーやアイカラーは、今のメークシーンに欠かせないものとなっています。こうしたメークは、近代に西洋から渡来したものと思っていませんか?実は、江戸時代の女性たちも、ポイントメークを楽しんでいたんです。お歯黒・眉化粧の「黒のメーク」とともに江戸時代のメークの中心だったのが「赤のメーク」、今回は江戸女性を華やかに彩った"紅化粧"についてお話しましょう。

庶民も日常的に化粧を行うようになった江戸時代。化粧はベースメークに白粉を塗り、眉墨で眉を描き、唇には紅をつけるのが基本でしたが、時期によって特徴あるメークスタイルの流行もありました。
紅化粧は、頬紅、口紅のほか、目のあたりにつけたり、爪にも施すなど、多様になっていきます。そう、こうした紅の使い方は、現代のポイントメークやネイルメークと発想が同じ。江戸女性たちもチャーミングなメークを研究しておしゃれに磨きをかけていたのです。江戸時代に流行った紅メークを紹介しましょう。

まず、紅化粧のトレンド。江戸前半は、頬紅も口紅もうすくつけることがよいとされていて、目の上や周囲にもほんのり紅をさしていました。その後は、口紅が紅化粧の中心となっています。
文化頃(1804‐1818年)になると、下唇に紅を濃くつける化粧が登場。遊女の化粧から流行した「笹色紅(ささいろべに)」という化粧法です。当時の浮世絵の美人画の下唇をよく見ると、赤ではなく、グリーン色になっているのが数多くあります。紅猪口(べにちょこ)、紅板(べにいた)といった容器に塗られた良質の紅は、玉虫色をしていますが、それを湿らせた筆や指に少しとって頬や唇に塗ると、ほんのり赤い色のメークになります。 笹色紅は、この紅を何度も重ねづけすることにより、紅を玉虫色に発色させて、唇を緑色に光らせたのです。
現代の口紅は、ピンク・レッド・ベージュなど色味は様々ですが、この時代の口紅といえば紅花から作られる赤い"紅"のことでした。

《浮世四十八手 夜をふかして朝寝の手》(部分) 渓斎英泉 文政4~5年頃(1821~1822)(国文学研究資料館撮影)
江戸時代流行した笹色紅をした女性。下唇が緑色になっているところが特徴。《浮世四十八手 夜をふかして朝寝の手》(部分) 渓斎英泉 文政4~5年頃(1821~1822)(国文学研究資料館撮影)
江戸時代流行した笹色紅をした女性。下唇が緑色になっているところが特徴。

では、この"紅"はどのように作られていたのでしょうか。
紅花の産地は山形が有名です。産地で摘んだ紅花を発酵、乾燥させて紅餅に加工し、それを京都に運んで紅に加工していました。商品化された紅は問屋や小間物屋に置かれ販売されています。紅の銘柄で当時有名だったのが「小町紅」というブランドです。京都や江戸では、いくつもの店で販売されていました。品質面でのこだわりも生まれ、江戸時代には、冬の一番寒い時期とされる寒中の丑の日につくった紅が良質とされています。

紅花に含まれる赤の色素は0.1~0.3%と大変少なく"紅一匁金一匁(べにいちもんめきんいちもんめ)"といわれるほど大変高価でした。ですから、紅を濃く塗る贅沢ができたのは裕福な商家の妻女か、遊女などだったのでしょう。
そこで少ない紅で笹色紅と同じ効果を出そうと、下地に墨を塗った上に紅をつける化粧法が考えだされていました。当時の総合美容読本『都風俗化粧伝』(佐山半七丸著、1813年)でも詳しく説明されています。
「紅を濃く光らさんとするには、まず、下地に墨をぬり、その上へ紅を濃く付けるべし。濃く見え、虹の色青みて光る也。」これぞ、裏技!流行を取り入れるための並々ならぬ庶民の知恵を感じます。

つぎに、目のあたりにつける紅化粧を紹介します。『浮世風呂』(式亭三馬著、1809‐1813年)には、「少しほろ酔いといふ顔色に見えるが、・・・」と、その化粧を描写しています。また、その方法は『都風俗化粧伝』で、青白い顔などには、紅を薄く溶いて、目の上、まぶた、頬のあたりにつけ白粉の残る刷毛でその上をたたいて桜色に見せる化粧がよいと指南しています。まさに、現代の美容誌で紹介されてもいいようなメークテクニックを実践していたんですね。
さらに爪紅(つまべに)といって、爪に紅をつける化粧も行われました。『絵本江戸紫(えほんえどむらさき)』(1765年)には、爪紅をする女性の様子が描かれています。当時は鳳仙花(ほうせんか)とカタバミの葉をもみ合わせた汁で爪を染め、爪紅としたようです。

このように、当時の女性たちを美しく彩った「赤のメーク」。江戸時代のお化粧は、白・黒・赤たった3色のメークでしたが、こうして紅化粧の様々を見ていくと、少ない色を工夫して化粧を行っていた当時の女性たちの様子が思い浮かびます。紅は、化粧の中でも女らしさを強調する色だけに、こうした多用なメーク方法やトレンドが生まれたのでしょう。そこに女性のいつの時代でも変わらない化粧への前向きなマインドを感じます。

次回は、江戸時代のメーク&トレンドについて引き続きお伝えします。

《時代かがみ 安永の頃》(部分) 楊洲周延 (国文学研究資料館撮影)
目のあたりに紅化粧を施している。江戸時代、安永の頃の女性像。《時代かがみ 安永の頃》(部分) 楊洲周延 (国文学研究資料館撮影)
目のあたりに紅化粧を施している。江戸時代、安永の頃の女性像。

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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