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2020.03.16
毎日の生活にかかせないスキンケアやメークといった化粧。その起源は古く、旧石器時代ともいわれます。人々が狩猟生活を送り、自然の中で暮らしていた時代、肌を守るなど、化粧の原型となる行為を行っていたのではないかと推測しますが、はっきりしたことはわかっていません。以降、現代に至るまで、化粧は、時代による社会や生活の変遷、美意識の変化とともに、意味や表現を変え続けてきました。
このシリーズでは日本の化粧文化の歴史を大きく「元始化粧」「大陸伝来化粧」「伝統化粧」「近・現代化粧」の4つの期に分けてたどります。
元始化粧とは、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代のころまでに日本人が行っていたであろう化粧をさします。当初は、水で肌を洗ったり、暑さや寒さから肌を守るため、獣の脂を塗ったりしていたことが推測されます。こうしたスキンケアにあたる行為に対し、色を使ったメークに該当する行為が文字の記録として確認できるのは3世紀の終わりの古墳時代のことです。
《女子 高崎市保渡田Ⅶ遺跡出土》 (かみつけの里博物館蔵)
赤い顔料を施しているとみられる埴輪。
次に大陸伝来化粧とは、飛鳥・奈良時代の化粧をさします。6世紀に仏教とともに大陸文化が伝来し、化粧法や化粧品も一緒に日本に入ってきました。そして、平安時代以降は伝統化粧の時代に入ります。当初、大陸文化の影響を受けた化粧が、日本の美意識に沿った化粧文化として育まれていき、江戸時代には日本独自の化粧様式が確立しています。
《美艶仙女香》(部分) 溪斎英泉 文化12~天保13年(1815~1842)
日本独自の化粧様式が確立された江戸時代の化粧。
4つ目の近・現代化粧とは、明治時代以降から現代までの化粧をさします。
明治維新の欧化政策によって、ファッションも欧米流の洋装へと転換が図られ、化粧も欧米流の化粧・美容が流入し、日本人の美意識を大きく変えていきました。そして大正、昭和と時代が進むに従い、ファッション・化粧・美容は、欧米の模倣は日本流に消化され、日本人に合うものへと進化し続け、現代に至っています。
日本の化粧文化史では、大きく4つの期を軸に、時代ごとにどのような化粧・美容が行われてきたのかを社会、生活、美意識の変化とともにたどります。化粧文化の歴史から、今の私たちの化粧の背景にある文化の奥行きを見つめてみたいと思います。
次回は、いよいよ元始化粧、化粧のはじまりに迫ります。
絵はがき 明治時代
近・現代化粧がスタートした明治時代、洋装の女性。
※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。